わたしは息子が産まれた時から
「彼は私の元に産まれて来たけれどもわたしの 所有物ではなく、立派な1人の人間」と思って育てています。
それは今でも忘れられない わたしの父の言葉によるところが大きいです。
あれは確か
私の1回目の結婚の時。
その結婚に対して反対も賛成も何も意見なし「そうですか〜」
そして結婚式でも全く泣きもしない父に対して母が
「あなたは何故そう(何も言わない、泣かない)なの?自分の子供なのに」
というと父は
「子供と言うよりも1人の人間としてみているから」
私はそれを聞いて うわ〜その考えすごいなと思うと同時に感謝の念が湧きました
確かに改めて過去を振り返ってみると進路、就職、結婚、起業、移住に関して一度も親から
「だめ」「無理でしょう」「あーしろ」「こーしろ」などと言われた事が一切ありません
そんな感じで育って来たためか
自分の人生の中で割と大きな事は全て決めてからの事後報告のみ。
また
何かやるにあたり、やった事も無い人(起業した事ないのに、起業に否定的な意見とか)
から否定的な言葉を頂いたり、頼んでもいないのに不要なアドバイスを頂いたり、ああしろこうしろと言われるのがほんとうに大っ嫌い!
なのでわたしも息子にも言いません。
自分に子供が産まれたら父と同じように1人の人間として育てる事が私の中での一貫する教育理念
わたしの中での叱る叱らないの基準は
そうする事で人様に迷惑をかけていないか?
本人がよいと思っているかどうか?
「湯船に頭を突っ込んで髪の毛を洗うのが彼の洗髪方法」を見ても面白いな〜
(そもそも誰に迷惑もかけていない)

温めるのが待てなくて コチコチのご飯を「僕は冷たいごはんが大好きなんだ!」
と言い食べようとするのを見て 面白いな〜
1歳過ぎくらいの時かな?
病院の廊下で寝転んだりした時があったのですが
人通りを妨げていなかったので、本人が満足する迄させたら満足して終了
他のお母さんは 汚いからやめなさい〜!と怒る→子供:もっとやりたい〜!泣く→修羅場と化す
兎に角 迷惑をかけていない事であれば、ただそばで見守っていれさえすれば
いつかは満足してやめるし、親も怒る事もなく楽です。
また
赤ちゃんのときは別として
3歳以降、私の言っている事を理解してくれるようになってからは
例えば
疲れ過ぎててどーしても無理な時に本を読んでとせがまれても時として
「ごめん、おかーちゃん今日は疲れているからちょっと無理です」
と正直に言ってお断りします。←最近はこれにプラスして疲れて出来ない、かまってあげられない事に対して
「ごめんね」と言うようにしました
食生活でも砂糖や添加物をなるべく避けているので、
砂糖の害について息子に説明します。
普段からお菓子などをコンビニで買って与える事もほぼしないので
「もっと遊びたいの〜ぎゃー」はたまに有っても
「コレ(お菓子)かって〜ぎゃー」は過去に無し。
子供だから分かってない?
いやいや実は分かってますよ〜
兎に角わたしが今 何故出来ないのか、したくないのかの理由をきちんと説明します。
そして1人の人間としてみているので
割と小さいときから自分が出来る事は自分でやらせるようにしています。
それは当たり前の事だとも思うし、実はそれが子供の成長自立にも繋がるし、子供が自分の事を自分でやってくれたら当然 親も楽になります
あまり気にしていなかった結果 先日はこんな事になっていましたが….

左右の靴の種類が違うのは見ての通りですが、左足の靴、実は右足用。
全く気がつかなくて街中に出てからハッと気がつきました。。。
これをみても勿論怒りません
別に左右違う靴を履いていても誰にも迷惑はかけていないのでOK
本人も自信満々だったのでOK
でしたが、
非常に歩きづらそうにしており、
その後公園に行こうと思っていたので一旦帰宅して正しい靴を履いた方がよいと
判断して帰宅して履き替えました
必要な時にだけ手伝い、自分の事はなるべく自分でさせる、信じる、1人の人間と思って接すると本当に色々と楽チンです